そもそものツイッター
こんばんは
タイトル通りTwitterの話なのですが、
ある記事を読むまで何の気なしにTwitterのアップデートを受け入れてきていました。
数時間前のツイートに数分前コメントがつくと、上にあがってくるのも、ただただ
やりとりが見返しやすいなとしか感じていませんでしたが。
その意図は リアルタイム性の維持 であったのですね。
よくよく考えればわかる話です、恥ずかしい。
新機能の、一日のハイライトなども、忙しい人からすればまあ楽しめる機能ですね。
どういう基準でツイートがピックアップされるのか気になる…
他人のつぶやきのハイライトってなんだかおかしいですね(笑)
こうやって顔を合わせなくても、他人との関係がリアルタイムで構築され、また傍観できることも当たり前になりました。
楽でもあり、また煩わしくも感じますが、SNSも新しいものはたくさん出てきて、関係に疲れたからやれ友人数を制限する、なんてものもありますし。
確かにぼやっと思ったことを、こう言葉にするのはすっきりするものです。
自分から公に発信しておきながら、見てほしかったり、見られたくなかったり、
加減が難しいですね。
だからこそ、発信に億劫になってしまうのも頷ける。
もやもや考えたこととかね、どこに発散するのか悩んだりとかしょっちゅう。
Twitterみたいなつぶやきサービスで、シェアがあるものは他にもあるのでしょうか。
もっと探索せねばですね、勉強不足。
では。